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「社会学入門」期末レポート2011-2

「成熟した高齢社会をめざして 自分らしさをめぐる医療社会学的アプローチ」

浅川朋宏

 


 

要旨

 本研究は,わが国において社会の高齢化が急速に進むのにたいして,高齢者が自分らしく生きるとはどういうことなのかを明らかにするために,6382歳の6名の女性から聴きとりを行った.聴きとりから明らかになったこととして,@語り手の語るライフストーリーは個別性が大きいことを考慮しつつ,A健康,B他者とのつながり,C社会とのつながり,D安定した経済基盤が,高齢者が自分らしく生きることを考察するうえで必要であることが示唆された.

 

背景

 近年,わが国においては,急速に進む社会の高齢化が問題になっている.国立社会保障・人口問題研究所によると,わが国の人口における65歳以上の高齢者のしめる割合は,2011年時点で20.8%であるのにたいして,2025年度には30.5%に達すると予測されている.75歳以上の後期高齢者のしめる割合は,2011年時点で9.5%であるのにたいして,2025年度には18.2%とほぼ2倍になると予測されている.

 こうしたなか,わが国では,少子・高齢化社会への危機感が広がった1990年代後半に,加齢を意味するエイジングが本格的に研究の対象とされるようになった.はじめは「社会問題」としてのエイジングがとりあげられ,のちにエイジング観のパラダイム・チェンジが問題にされた.

 従来,高齢者の介護をめぐる諸問題の研究がエイジング研究の中心であった.しかし,社会の急速な少子・高齢化を受けて,エイジングは高齢者の扶養をめぐる福祉国家の財政危機問題として大きくクローズアップされることになる.高齢者の医療や介護という「個人的な問題」から「社会的問題」へとエイジング研究の関心がひろがっていったのだ.

 そして今日,エイジング研究においてパラダイム・チェンジが起きている.つまり,エイジング研究が大前提としてきたこれまでの高齢者像が,ネガからポジに反転しているといわれている.それとともに,「社会問題」としてのエイジングから「ポジティブ・エイジング」への研究の転換が始まっている.

 ポジティブ・エイジングとは,老年期をポジティブに生きることである.老齢期をポジティブに生きるにはどうしたらよいかをめぐり,高齢者の生活のどの側面に力点をおくかによって二つの文脈にわかれている.一つは,健康や生きがいなど,高齢者の肉体的,精神的な側面に力点をおく「サクセスフル・エイジング」であり,もう一つは,高齢者の社会的な「自立」,つまり高齢者の「労働権」に力点をおく「プロダクティブ・エイジング」である.

 いずれにせよ,日本をふくめた欧米諸国における社会の高齢化は,実質的な人数のうえでも比率としても,社会のなかで高齢者の存在感を強めている.この高齢者をどうとらえ,どう扱うか.高齢者の存在感が強まるにしたがって,「弱くて」「厄介者」としての高齢者像から「自立」した「強い」高齢者像への転換がはじまっている.では,どのようにして「自立」を手にいれるか.どのようにしてこの「自立」をエイジングと両立させるか.それにたいして,高齢者個人が,これまで「弱者」として「保護されるもの」とされてきた高齢者のアイデンティティをみずから否定し,新たなアイデンティティを構築する必要があるのではないだろうか

 

研究の目的

 さまざまなバックグラウンドをもつ60歳以上の6名の方から,老いを生きることへの思いを,今までの生い立ちや現在の生活状況を合わせて聴きとりをおこない,「高齢者が自分らしく生きる」とはどういうことなのかを明らかにする.

 

対象

 6382歳の女性6人.今回はそれぞれの境遇のなかで,老いを生きることへのさまざまな思いを聴取するため,バックグラウンドを限定せずに幅広い方から聴きとりをおこなった.仕事をお持ちの方1名,ボランティア活動に勤しむ方2名,家族に要介護者を抱える方2名,中心静脈栄養および車椅子で生活されている方1名である.

 

方法

○聴きとり方法とデータ収集

 聴きとり期間は,20115月から7月までの2ヶ月間であった.6名の語り手のうち5名は語り手のご自宅で,1名はファーストフード店にて,6090分の聴きとりをそれぞれ1回ずつおこなった.聴きとりは,@生い立ち,A現在の生活状況,B生きがいもしくは自分らしく生きるとは,という順番で大まかな質問をおこない,語り手に自由にお話をしていただく非構造化面接の形でおこなった

 聴きとりの内容は,本人の同意を得たうえICレコーダーで録音し,その録音内容を逐語テープ越しし研究データとした.

○倫理的配慮

 本研究への参加に関しては,研究の概要を口頭・文書で説明し,研究参加の同意文書に本人の署名をもらい同意を取得した.

 

結果

 以下は,6名の方からの聴きとりの要約である.

ケース1

 Aさんは82歳の女性.20年前に御主人を亡くして以来,一人暮らし.ご主人が生前に勤めていた共同住宅の管理人を引き継ぎ,現在も管理人をされている.その共同住宅の管理人室が,Aさんのお住まいになっている.

@生い立ち

 北海道の浦河に,土建業を営む家の5人兄弟の一番上として生まれる.高等女学校までを浦河で過ごし,専門学校に進学するために札幌へ.札幌で2年間を過ごし,専門学校卒業後に浦河に戻る.道庁職員と見合い結婚をされ一女をもうけるが離婚.その後,仕事で知り合った男性と再婚される.その方との間には子どもはいない.

 のちに,ご主人と江別で冠婚葬祭ホールを営むが,ご主人が少々酒量の過ぎる方で,これではご主人のために良くないと思われ,ホールを売却し,ご主人の親兄弟がいる釧路に渡られる.釧路では,ホールを売却した資金を元手に土地を買い,シイタケ栽培などを手がけられていた.再び札幌に戻られてからは,ご主人は共同住宅の管理人,Aさん自身も建設会社の寮母に就かれる.Aさんは17年間,寮母をお勤めになり現在に至る.

 ご主人は,大学を二つ出られているそうで,教養があり,お話も上手なところに惹かれていたし尊敬もしていたと仰っていた.ご主人は晩年,体を壊されてお酒を控えるようになってからは,Aさんにとっても,娘さんご家族にとっても大変すばらしい方だったそうである.

A現在の暮らし

 大変規則正しい生活をされている.朝は4時に起床.毎朝,体重と血圧を計測し記録されている.共同住宅の中を見回れてから,新聞を読み,朝のラジオ体操をされ,朝食を摂られる.週に3回は社交ダンスを習いに行くため,お昼にかけて外出される.夕方になる前には帰宅され,少し早めの夕食を摂りながら350mlの缶ビールを一本呑むことを楽しみにされている.その後,入浴されて8時には就寝される.

 料理されるのがお好きなこともあって,食生活にも大変気を使われている.出来合いのものは一切購入されず,現在も台所に立たれて料理の腕をふるわれている.

 日頃,一番意識されていることは健康である.規則正しい生活,毎日のバイタルチェック,食生活への配慮,適度な運動をいつも心がけている.健康に気を配るようになったのは,ご主人が大病をされてからである.目下の悩みは膝痛である.

 ご主人が亡くなられたあと一時期気落ちした時期もあったが,今は一人暮らしを大変満喫されている.娘さんから同居の話を持ちかけられることもあるが,体の自由が効くうちは一人暮らしを続けていきたいと考えられている.現在お住まいの共同住宅は,入居者の生活音が絶えず聞こえてくるので寂しさを感じないそうである.体が不自由になった時は,迷惑がかかるので娘さんに厄介になるよりはどこか施設に入所したいとのことであった.

BAさんにとって自分らしく生きるとは

 ピンと品を保ち,若々しくあること.そして,他人の役に立つことに生きる意味を感じる.そのためには,まず感性を磨くこと,そして他人を愛することが重要であると仰っていた.

 さらに,何事も上を目指す心を忘れないこと.99歳で処女作を発表した女性を持ちだされ,自分には詩を書く才能がないけれども,どうせ長生きをするならその方と同じような歳のとりかたをしたいと仰っていた.

 

ケース2

 Bさんは72歳の女性.現在はご主人と二人暮し.20年前にボランティア活動を始められ,今は二つのグループに参加されている.一つは,美化活動や施設に出向くといった課外活動が中心のボランティア.もう一つは,得意の手芸を生かして,雑巾やひざ掛けといったものを製作して施設などに寄贈するボランティアである.聴きとりでは,ボランティア活動に関することを中心にお聞きした.

@生い立ち

 東京に生まれるが,戦火をまぬがれるため生後まもなく北海道の芽室に移住する.結婚後,金融関係にお勤めのご主人の転勤にともない道内各地を転々とされる.20年前,北見で高齢者施設のオムツたたみのボランティア募集に応募されたのをきっかけに,以来ずっとボランティア活動にたずさわってきた.

 ボランティアをされる精神的な素地を尋ねると,最初にご両親の存在を挙げられた.ご両親は他人の面倒見がとても良い人だった.父親は,戦後間もない何もない時代に,子ども会を組織されるような人であった.父親は車の整備工をしていらしたそうで,駐留米軍の車両などの整備も良くされていた.そうした環境が,当時としては進歩的な思想を父親に養わせたのではないかと仰っていた.母親も,町内会の婦人部などの活動を熱心にされていた.そうした両親の面影がつねにBさんのなかには存在していたという.

 また,函館にいたころ,ご近所にボランティアをされている素敵な年配の女性がいた.その女性からボランティアに誘われることもあったが,まだ若かったことと趣味であるスポーツに熱心だったために,結局そのお誘いに応じることはなかった.しかし,その女性のこともつねに念頭にあったということだった.

A現在の生活

 現在は体力的なこともあり,施設などに出向いて活動するボランティアは週12回程度である.もう一つの手芸の能力を生かしたボランティアは在宅でもできるということもあり,家にいるときは施設などに寄贈する作品作りに精を出されている.「できるときにできることをする」をモットーにボランティア活動をされているとのことだった.

 ボランティアをするうえで意識されていることを伺うと,まずは健康をあげられた.とくにご主人が大病をされてからは,健康を考えない日はないという.つぎに,他人との輪をあげられた.ボランティアは,相手を思いやることが大事で,決して自分本位であってはならず,常に他人への感謝を忘れてはいけないことを強調されていた.

 ボランティアのやりがいを伺ったところ,いろいろな人との出会いや交流をあげられた.また,利用者からのなにげない笑顔やさりげない感謝の言葉がとても嬉しいとのことだった.

 ボランティアはBさんにどのような影響を与えているかを伺うと,ボランティアは生活に張りを与えているとのことだった.ボランティアがある日に備えて体調を整えるなど,生活のサイクルがボランティア中心に回っている.また,高齢者のもとへボランティアに行くときは,利用者のお姿をみて「自分の行く道」と思っている.だから,今を大事にしたいと強く感じると仰っていた.

BBさんにとって自分らしく生きるとは

 死ぬ直前まで自分で食事も排泄もして,可能なかぎり元気でいること.ただ,健康を崩して誰かの世話にならなければならなくなったときは,自我を出すことなく,周囲の人と仲良くして,他人に感謝の言葉をさりげなく出せるような可愛らしいおばあちゃんになりたいとのことだった.

 

ケース3

 Cさんは65歳の女性.ご主人と息子さん御家族と生活されている.結婚後も仕事をずっと続けてこられてきた.20年前に仕事を辞められたのを機に,ボランティアの道に進まれた.現在は,あるボランティア組織の代表もされている.

@生い立ち

 父親の仕事の関係で中国の内蒙古にて,4人姉妹の2番目として生まれる.誕生の半年後に終戦を迎え,一家そろって無事に日本に引き上げることができた.父親は大学の事務職員をされていて,父親の赴任先である仙台に落ち着いた.

 姉が病弱だったことと,下の妹二人が小さいこともあって,幼い頃は親戚のうちに預けられることも度々あった.寂しさも当然あったが,自分がわがままを言うと家族が困ることがわかっていたので,自分の気持ちを隠すというか悟られないように我慢をするような幼少期だった.

 小学5年のときに,父親の転勤で帯広に転居する.帯広での生活がCさんの人生観を大きく変えた.帯広の広大な自然は,Cさんにとって全くの別世界であった.十勝の大平原に抱かれて,それまでの内気な性格から物怖じしない性格になった.帯広という環境の変化が,自分にはよい方向に働いたと仰っていた.

 父親は当時としては進歩的な性格の方で,娘4人を大学にまで率先して行かせる人であった.しかし,酒量が少々過ぎる方で,そのことで母親はずいぶん苦労したという.そうした母親の姿を見て,Cさんは女性も経済力を持たなければならないと強く感じた.それが,Cさんが結婚後も仕事をずっと続けられてきた理由である.年金を胸張ってもらうためにも,最低25年は働くつもりだったそうである.

A現在の暮らし

 仕事を辞めようと決心したときに,会社の先輩方が仕事を辞めて半年くらいたつ頃から精神的な病をかかえるのが思い浮かんだ.だから,仕事を辞めたあとも外に出る道はつけておこうと思っていた.そんな折にたまたま目にしたのが,社協が主催するボランティアの無料講座だった.

 実際に講座を受講して,あまりの面白くなさに驚いた.ただ,ボランティアというのは自分が納得して,自分から動かないかぎり成立しないというところは理解でき,またそこに惹かれるものも感じた.さらに,長年,組織の中で働いてこられたために,ボランティア団体の運営にもどかしさを感じると同時に,今から思えば生意気だけども,そのなかに多数おられる専業主婦の方とのギャップを感じざるをえなかった.ともかく,面白くなければやめる選択もあるわけだし,面白い方と出会えるのではないかと思って続けてみることにしたそうである.

 当初,二つのボランティア団体に参加した.療養病床での見守りといったボランティア内容そのものの難しさや,団体の運営をめぐる行き違い,両親の介護のための東北との二重生活がはじまるなど,いろいろとご苦労があったようである.今は,現在所属している団体一本にしぼられた.その団体は,もともとある医療法人が設立母体であったが,しばらくしてその医療法人が手を引くということになったとき,こちらの都合だけで利用者に迷惑をかけるべきではないと,Cさんがその事務局の引き受けを思わず宣言してしまったそうである.

 ボランティアをされて良かったことを伺うと,ボランティアを通して社会勉強になったことをあげられた.とくに,母親の介護そして看とりのさい,ボランティアの経験が役に立ったそうである.いい経験をたくさんさせていただいたので,これからはその恩返しをしていきたいとのことだった.また,家族との関係が,ボランティアを通して良い方向に働いている.事務局を引き受けたときも,家族ぐるみで手伝ってくれたそうである.

 ボランティアを続ける秘訣を伺ったところ,良い利用者,良い仲間に恵まれたことをあげられた.良い方々とめぐり会い,いろいろ勉強させてもらったので,今は少しでも他人様の役に立つのなら,少しでも外に出て活動していきたいと仰っていた.

BCさんにとって自分らしく生きるとは

 思いっきりわがままできるところを失くさないこと.行きたい所があれば行く,勉強したいことがあればする.夫婦といったって全て趣味が合うわけではないのだから,自由時間を大事にしたいし,最近ようやくそういうことができるようにもなった.家族のなかでもお互いにウンと無理することなく,あちこち揺れ動きながらゆったり感覚で構えていれば,家族が家族の枠のなかにいられるのではないかと仰っていた.

 

ケース4

 Dさんは82歳の女性.認知症で寝たきりのご主人と二人暮らし.ご主人をお一人で在宅介護されている.月2回の訪問診療,週3回の訪問看護,週2回の介護サービスが,Dさんの介護を支えている.

@生い立ち

 Dさんは,十勝地方に小学校教員の二人娘の下の子として生まれた.十勝地方で高校教師をしていたご主人と知り合い結婚する.一人息子も授かり,ご主人の転勤にともない道内各地を転々とした後,30年前にご主人の勤務先であった札幌に来て,今のお宅に住まわれるようになる.ご主人は,50代のときに脳梗塞を患ったが,幸いにして大事には至らず定年まで奉職された.

 しかし,ご主人に変化の兆しが見られ始めたのが,定年後すぐのことであった.以前は,知人との旅行なども自ら率先して段取りをするような方であったが,あまり進んで手を出さなくなるようになった.うつ的な症状も見られるようになる.Dさんはそんなご主人を見て,毎日ハラハラしながら過ごすようになる.

 ご主人はやがて認知症と診断される.認知症の周辺症状である徘徊も始まるようになった.最初は,学校の教員だった人が認知症だなんてどうしましょうと悩まれたが,周囲に相談できる人はいなかった.子供に相談しようとも思ったが,子供には余計な心配をかけさせたくなかった.しかし,隠していても仕方がないと思うようになり,近所にも隠さないようにした.すると,近所の方も事情を理解してくれて,いろいろと協力をいただけるようになった.近所の方に大変感謝をされていた.

A現在の暮らし

 ご主人がベッドでの生活になられたのは,昨年の正月からとのことである.それ以前の2年くらいの間は,ご主人の症状も進み,介護が大変だったという.とくに,トイレが大変だった.トイレがどこにあるのかわからなくなってしまったため,白いものがおいてある場所,たとえば洗面所や洗濯機に沮喪をするようになった.そういった場所には新聞紙をひきつめて,沮喪をしたのがすぐわかるような工夫もされていた.ご主人がまだ動けていたうちは,目離しができない状態であった.

 お一人で排泄の介助から何まで大変でしょうと伺うと,「女性は全部汚れてしまうけど,男の人は割合楽なんですよ」と仰っていた.Dさんは以前にも自分の母親を介護したのだという.まだ若かったし,要領も得られず,いよいよ母親の介護が大変になったときに,姉とも相談して,母親を高齢者病院に入院させた.帰宅して,『母はもう絶対この家には帰れないんだ』と思うと,涙がただただ流れ,悪いことをしたなぁといった親を棄てたような罪悪感に苛まれたという.だから,そういう思いは二度としたくない,私の体の続くうちは在宅でご主人を看ていくつもりだと仰っていた.また,ご主人は認知症の周辺症状が大変強かったそうで,そんなご主人を他人に見ていただくには申し訳ない気持ちがあったそうだ.

 Dさんの体調を伺うと,血圧が多少不安定なだけでたいした問題はないとのことだった.しかし,在宅でご主人を看ていることは,ご主人に恥をかかせているのではないか,どこか施設に入れたほうがよいのではないか,一時期不安感に襲われたことがあるという.病院で受診すると向精神薬をすすめられ,今は薬のおかげでノホホンと平静を保っていられると仰っていた.

 心配事を伺うと,これからのことが心配だという.詳しく伺うと,胃ろうは延命処置のようなものではないか,延命医療が本当に本人にとって望ましいことなのかと,大変気にされていた.

 往診について伺ってみたところ,こういうことをお聞きしなければ,こういうところを診ていただかなくてはと,緊張感もあり刺激になっていると仰っていた.ご主人の症状が進んでいよいよ通院もままならないようになってきたころ、ケアマネから往診の存在を教えてもらい,それはいいと飛びつきました,と仰っていた.

BDさんにとって自分らしく生きるとは

 本当は,ご主人が退職したら,日本各地を旅行しようと蓄えもしてきたが,ご主人がすぐにご病気になったので,かなえずじまいになってしまった.今の生きがいはご主人であり,ご主人を看ることに責任を感じるとのことであった.自分らしく生きてきたというよりは,ご主人の病気とただただうまく付き合ってこざるをえなかったと仰っていた.

 

ケース5

 Eさんは63歳の女性.認知症で寝たきりである90代の母親を,妹とともに在宅で介護されている.30年近く小学校の教員を勤められたあと,母親の病状の悪化を機に職を辞され,母親の介護に専念されている.献身的な介護のうらには,今の日本が忘れてしまった心温まる家族の物語が存在したのである.

@生い立ち

 Eさんは北海道の本別町で生まれたあと,すぐに小樽へ移ってきた.その後,大学2年まで小樽で過ごすことになる.Eさんは3人姉妹の2番目であった.Eさんが教師になったのも,今の介護生活があるのも,姉の影響を多分に受けることになる.

 中学生になると,姉の勧めで近所の英語塾に通わされた.そのおかげで中学,高校と英語が得意だった.大学受験を間近に控え,両親からは国公立しか行かせられないといわれていた.北大は無理なら教育大はといわれたとき,学校の先生は向いてないなぁと思いつつも,英語の先生ならいいかなと思い英語教師課程で教育大を受験した.英語教師枠にはもれてしまったが,そのかわり小学校課程で合格していた.こうして,Eさんの教師人生がスタートするのである.

 以来,母親の介護のために退職するまで,結婚はせずに仕事一筋に過ごされた.Eさんは,仕事するなら結婚しないし,結婚するなら仕事をやめる,器用ではないので両立など考えたこともなかったと仰っていた.もともと子供が好きだったので,仕事はやりがいがあったという.大変ながらも教師としてのキャリアを積まれ,平成元年には現在お住まいの家を建てられる.その家は,のちのち家族を呼び寄せられるようにと建てたものである.はじめに姉が,しばらくして両親と祖母がこの家に身を寄せて,家族5人の生活が始まった.

 札幌に来てから,父親は認知症,母親はパーキンソン病と診断される.Eさんは一家の稼ぎ手であったため,当時90代だった祖母を合わせて,当初この3人の世話をしていたのはEさんの姉だった.しかし,やがて姉が卵巣ガンであることがわかる.ガンの摘出手術を受け,自分の療養もしながら,両親と祖母,そして一家の稼ぎ手であるEさんを支えるのである.

 父親の認知症が進んで目が離せなくなったことから,祖母に一時ショートスティに入ってもらうことにした.祖母は行きたくはなかったのだが,姉と涙ながらの話し合いの末に納得されたという.だが2ヵ月後,祖母はその施設で肺炎にかかり息を引き取られた.姉は祖母をあずけたことをとても後悔されたという.姉は,祖母の死のこともあって両親を絶対に自宅で看るとがんばってこられたが,父親の病状も進み,姉も病の身だったため,父親を施設に預けざるおえなくなった.姉は父親の足元にすがりつき,ただただ泣きながら詫びていたという.父親は認知症が進んでいるために状況がわからないはずなのだが,そんな姉の頭を優しく撫でるのだった.

 父親が他界してすぐに,姉のガンが再発していることがわかる.姉は,祖母と両親の介護に明け暮れていたためか,再発がわかったときにはすで末期の状態であった.医師からホスピスを紹介されたが,まだ母親がいるのでギリギリまで家にいる選択をされた.姉の病状がいよいよ進むと,妹にこれ以上迷惑をかけられないからといって自らホスピスに入院した.姉は死ぬ最後の最後まで気丈に振舞われていたそうである.そして,56歳という若さでこの世を去られた.

A現在の暮らし

 姉は生前,「母親は施設に行くのを嫌がっていたのでとにかく家においておきたい」と話していたという.そしてEさんには「自分はがんばり過ぎた.もし,あなたが仕事を続けたいなら,かわいそうでも母をどこかにあずけなさい.母を看たいんだったら仕事をやめなさい.無理をしないで,とにかく楽にやりなさい」と言い残していた.Eさんは仕事のときもそうだったが,仕事と介護の両立など考えてはいなかった.母親をどこにもあずけるつもりもないし,可能な限り自宅で看ていくつもりだそうである.Eさんにとって姉の存在はとても大きく,姉が亡くなったときには自分の人生も一つ終わったような感じがされた.だから,母親の介護が必要になったとき,第二の人生というか仕事をスパッと辞めて介護生活にスンナリ入れたのだと仰っていた.

 Eさんの妹一家も近くに住まわれていた.だから,父親が大変なときも,姉が大変なときも,そして母親が大変なときも妹に相談されることが多かった.Eさんは家事や介護の経験が少ないため,主婦・育児暦が長い妹をとても頼りにされていた.妹に心配をかけさせるつもりはなかったのだが,妹は相談を受けるたびに気が気でなく,すぐにでも駆けつけたいが自分にも片麻痺のご主人がいるためにそうもいかず,妹はついに心労がたまってしまった.4日間も眠ることができないときもあり,ついにパニック症状をきたしてしまった.Eさんはそんな妹を呼び寄せ,一緒に母親の介護をしていくことになった.今は,妹のご主人も食事だけは一緒に摂られている.また,遠方にいる妹の二人の息子さん家族が帰省すると,Eさん宅に泊まっていかれるようになった.妹家族と母と私という感じで,本来,独り身の自分には味わえなかった喜びを,妹のおかげで味わえていると仰っていた.

BEさんにとって自分らしく生きるとは

 Eさんの母親は,ご主人と娘を相次いでなくされてから,ガタガタと病状が進まれたという.みんなの所へ早く行きたいとこぼされるたびに,教師も辞めてしまったし長生きしてもらわなければ困ると励ましてきたが,こんなにがんばってくれるとは思わなかった,と仰っていた.

 自分が倒れては誰もいなくなるので絶対に無理はしない,閉鎖的に介護はせず,できないところは正々堂々と甘えて,楽しく介護をさせてもらっていると仰っていた.母親の面倒を看おわったら,この介護の経験を生かして何かしたいと考えていらっしゃるとのことだった.

 

ケース6

 Fさんは70歳女性.20代のころより消化器の手術を繰り返してきたために中心静脈栄養で生きてこられ,しかも仕事中の不慮の事故により左上腕から切除,さらには医療ミスにより足が不自由となり,現在は車椅子で生活をされている.Fさんは,まさに病いとともに生きてこられたのである.

@生い立ち

 Fさんは,学生時代はスポーツ万能で,20代半ばまで陸上の選手でもあった.陸上の練習中に倒れるようになり,血も吐くようになったため,23歳のときに病院を受診する.胃に腫瘍があったため,胃の一部を切除する.その後も腸閉塞やら何やらで,小腸,大腸,胆のうなど合わせて12回にわたる手術を受けられた.そのため,消化機能が低下し,中心静脈栄養に頼らざるおえなくなった.最近では経管口からバイ菌が進入することが多く,年に12回は生死をさまようほどの事態に陥ることが多い.だが,そのたびにそうした苦難を乗り越えてきた.

 若いころから病を抱えて生きてこられたわけだが,そのたびに社会復帰をはたし,独身だったため少ないながらも賃金収入を得て,公的扶助も受けずに自立して生活してこられた.ところが,勤務中に不幸にも荷台の下敷きになり左腕を大怪我する.治療の甲斐もむなしく左腕が壊死してしまい,切断せざるをえなかった.さらに,若いころから中心静脈栄養のための管を入れてきたため,管を挿入する箇所がいよいよなくなり,大腿部から挿入することになった.しかし,医師の無理な処置によって大腿部の神経が傷つき,車椅子での生活を余儀なくされてしまったのである.

A現在の暮らし

 Fさんは聴き取りのなかで,車椅子での生活がいかに不便かを強調されていた.車椅子生活になったあと,住まいを転々とされるわけだが,部屋の構造が車椅子の生活に支障をきたすことが大きな理由のひとつであった.ドアの狭さや段差の多さなど車椅子生活者がかかえる困難はじつに多く,もっと研究してもらいたいよねとこぼされていた.

 また,住まいを転々とされたその他の理由として,介護つき住宅のサービス上の不備をあげられていた.今まで過ごしてこられた介護つき住宅では,最終的にサービスを提供する側と折り合いがつかず,Fさんのほうが見切りをつけて退去するというケースが多かった.医療機関や介護事業所が何度も話し合いを重ね,現在のお住まいようやく落ち着かれた.今のお住まいは,段差もなく広々としていて,車椅子で室内を動くにはなんら支障はない.ただ,われわれには何のことはない普通のドアであるが,体力の落ちたFさんには玄関のドアが重く開けることができないという.だから,私はカゴの鳥なのと仰っていた.

 今まで病いと闘ってこられた人生についてお伺いすると,「精神力かな」と仰っていた.もともと他人に世話を焼くのが好きで,何度も手術を受けるが,そのたびにせっかく助けてもらった命なのだから何とか他人の役に立ちたいと,いつも思ってこられた.元気になると,会社の組合活動や地区労の活動なども熱心にされてきた.病いがぶり返して「もうダメかな」と自分も周囲も思ったときも,そうした周りの人たちが励まし支えてくれた.

 今だって苦しいことはたくさんある.そんなときは一番苦しかったときのこと,たとえば10ヶ月間水も飲めなかったときのことなどを思い返して,今は少し楽になったのだからと考えるようにしているという.「要するに自分との闘いだよね.気が弱かったら,うつ病になっているよね」,「一人で闘ってきたのは,自分でも自分を誉めてあげたい」と仰っていた.

 今の生活には緊張感が常に伴うのだという.車椅子から移動するとき転ばないようにするなど,いかに車椅子生活を工夫するか,いつも思考をめぐらしている.また,1年くらいの周期で高熱におかされて入院するが,回復するたびに半年健康を維持したぞとか,もう半年健康を維持するぞとか,そういうことを目標に生活されている.

BFさんにとって自分らしく生きるとは

 前回の入院では,医師と死生観について話をした.医師は軽く受け流したものの「家族を早くに亡くしたけれど,みんなの分,長生きしたからもういいんじゃないかって.今度,危ないときは十分闘ってきたから何もしなくていいから」と医師にもらされたという.しかし今は,前より便の通りも良くなってきたのでCVを外す希望を少しもっているの,といった力強い言葉をお聞きすることができた.

 

考察

 「自分らしく老いを生きる」とはどういうことなのであろうか.6つの事例を比較・検討したところ着目すべき5つの視点がみえてきた.

@生い立ちが人生に大きな影響を及ぼしている

 Bさんの「地域活動に積極的だった両親の存在」,Cさんの「母親の姿を見て,女性も経済的自立が必要と考えるに至った経緯」,Dさんの「母親の介護経験」,Eさんの「若くして亡くなった姉の存在」,Fさんの「病とともに生きてきた人生」が,語り手の現在の人生に大きな影響を及ぼしており,「自分らしく生きること」にたいする語り手の定義にもそのことが波及する.

 高齢者の楽しみ・生きがいに関して5名の方からインタビューした松坂(2004)の研究においても,「社会参加」と「自立」という概念を用いた分析では,高齢者の実態を充分に把握できず,高齢者の生活に質を問うには,「社会参加」と「自立」の概念を広義に再定義し,実態を分析する必要を強調している.

 Bさん,Cさんは社会活動に積極的であるから自分らしい生を生きている.しかし一方で,Dさん,Eさんのように家族の介護,Fさんの病いの人生が自分らしく生きることを妨げていると結論付けるのは早計であろう.今回の研究を通して,個人の語るライフストーリーがじつに個別性に富んでいることが示された.自分らしい生を検証するさい,そうした個別性を踏まえて議論することが極めて重要である

A健康

 語り手の語るライフストーリーの個別性に配慮しながら,自分らしい生を検証してみると,まず6名の方とも健康に留意されていることがわかった.

 6名の語りとも健康のことが必ず話題にあがった.Aさんは自己流の健康法を実践され,Bさんはボランティアの予定に合わせて体調管理をされている.Dさん,Eさんは介護生活によって自分の体調を崩さすことのないように留意されている.

 高齢社会に向けて,予防医学やヘルスケアの啓発を促していく必要があろう.また,家族を在宅介護されている人のメンタルなケアをどのように行なっていくかも,これからの大きな課題である.

B他者とのつながり

 6名の方とも,語りのなかで他者への「感謝」の思いを口にされている.そして,Aさんは周囲の人との関係,BさんとCさんはボランティア関係者との関係,Eさんは家族との関係が,現在の生活にいかに大きな影響を及ぼしているかを語っている.さらにAさん,Bさん,Cさんは一歩踏み込んで,他者の役に立つ存在であることが自分らしく生きることと結び付けている.

 自分らしい生を他者とのつながりに求めるならば,他者との関係性において自分の人生をとらえ,それが転化して他者の役に立つ存在になることを考えるといったプロセスを踏むことが示唆される.

C社会とのつながり

 Aさんは共同住宅の管理人の仕事を,BさんとCさんはボランティア活動が生活の基軸になっている.また,DさんとEさんおよびFさんの事例は,社会が提供するサービスを上手く利用しながら,在宅介護や在宅療養を続けられていることを示している.

 社会のなかで自分の役割を見出す,または社会が提供するサービスが,いかに個人のquality of life (QOL)の向上につながっているかを示している.高齢社会のあり方を検討していくうえで,高齢者がどのような社会的役割を担うことができるか,また高齢者が安心して地域社会に住み続けることができるシステム作りが急がれる

D経済的に安定した生活

 Aさん,Cさん,Eさんは仕事をしていたこともあり,安定した年金を受給されている.Bさん,Eさんは専業主婦であったが,ご主人の安定した年金のもと生活が安定している.Fさんは仕事をされていたことに加え,労災からの収入があり生活は比較的安定している.安定した老後をおくるためにも,安定した経済基盤が必要なことはいうまでもない.

 

本研究の限界と今後の課題

 紙幅の関係上,6名の方とも語りのすべてを掲載することはできず,語りの一部を提示するにとどまっているという限界は否めない.

 また本研究では,語り手が6名と少数であり,しかも全て女性であるために,本研究の結論を一般化することはできない.聴きとりの数を増やす,また男性の事例を加える,さらに量的な研究も実施して分析・検討していく必要がある.

 

結論

 「自分らしく老いを生きるとはどういうことか」を検証するために,6名の方から聴きとりを行ったところ,@ライフヒストリーの個別性を充分に配慮しつつ,A健康問題が現在の生活にとって大きなテーマである,B他者とのつながりの重要性,C社会とのつながりをどう維持していくか,D安定した経済基盤の五つの点が,考察するうえで必要であることが示唆された.

 

 

謝辞

 本研究にあたりまして多大なる御指導を賜りました北海道大学大学院医学研究科医療システム学分野の川畑秀伸先生,中村利仁先生をはじめとする関係者の皆さま,BさんおよびCさんを御紹介いただいた北海道大学生涯学習開発研究部の木村純先生をはじめとする関係者の皆さま,Dさん,EさんおよびFさんを御紹介いただいた勤医協札幌西区病院在宅医療部をはじめとする関係者の皆さま,そして御忙しいなか本研究に御協力いただきました6名の語り手の皆さまに心より厚く御礼申し上げます.

 

 

参考文献

・安川悦子(2002)「現代エイジング研究の課題と展望―文献解題を手がかりに」『「高齢者神話」の打 

  破―現代エイジング研究の射程―』御茶の水書房

・見田宗介(1979)『現代社会の意識』弘文堂

・福岡安則(2000)『聞き取りの技法―〈社会学する〉ことへの招待』創土社

・松成恵(2004)「高齢者の楽しみ・生きがい―独居後期高齢者事例研究」『山口県立大学生活科学部研

  究報告』Vol.30

・藤崎宏子(1998)「高齢者の自立と社会参加」『高齢者・家族・社会的ネットワーク』培風館

・森岡清美(1998)「コメント1 家族社会学のパラダイム転換をめざして」『家族社会学研究』Vol.16

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・中川威ほか(2011)「超高齢者の語りにみる生(life)の意味」『老年社会科学』Vol.32 4